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ディテールの戯言 その1

私は縁側(えんがわ)に憧れています。
縁側
「形式としては 縁側=古くから日本家屋の南側にある板間での様なもので、
欧風建築でのベランダなど様なもので~」・・そんな、建築様式の事はさておき
子供の頃、いなかで日差しを浴びながら色んな食べ物をたべて~
そして色んな大人たちが変わるがわる、話に来た記憶があって
自分がそこにいる事を自然となじんでいた様に思われたと記憶しています。~
その後、建築関係に携わり、日本人が古来に縁側が親しんだ理由を知りました。
日本古来に風流=「わび・さび」の心は、あいまいさにも共通する部分があるそうです。
「わび・さび」は今では茶道でしか聞かない言葉かもしれませんがね
「縁側」と言えばいわゆる「借景」という言葉を思い出します。~
「借景」とは=それは縁側は、室内と外(庭/自然/空間)の間にあり、
場所としてはどちらでも言えない「あいまい」な空間なのかもしれません。
けれども、そのスペースにいるとき「風景を借りる」事により無限の広がりがあると考えられていました。
おさまり(ディテール)の部分にこだわる職人気質と~
こだわらない解放された空間(スペース)をとらえる気質~
そのあいまいな空間こそが、「わび・さび」の心であるような気がします。
そこにまた日本の「粋(イキ)」があるのかもしれません
欧風建築のベランダとは、根本的な部分が違います
(逆に庭に塀をたてず、空間の仕切が一回りおおきのかも知れません)
「借景」は曖昧さなのかも知れません。
そして現代、日本人の「あいまいさ」は罪の様な考えで悪とさえ考えらています。
けれども、その曖昧さはじつは「借景」の様に無限に取り込み受け入れる考え
~そして空間を解放して、うけいれられる~
そんな良さが、「わび・さび」の中にもあるのではないでしょうか?
「縁側は人の縁を繋ぐ場所」と、昔はいわれたそうです。
現代の中でそんな空間が造れないでしょうかね?
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